MANOとヨガとインドのこと

MANOのヨガのことをつらつらと書いています

ヨガで気付いた心のこと

こんにちは。MANOです。

インドからから帰って2日目。

今日は体調がどうなってるかわからなかったので、サロンはお休み。

明日からはほぼ普通通りサロンワーク

 

さて、今日はヨガと心のことについて書きたいと思います。

 

「ヨガを始めて気付いた心のこと」

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心ってどこにある?

心臓?意識だから頭?

 

ふとそんな質問がありました。

 

魂って何?

体って?

 

そんなことがヨガと関係あるなんて思っていなかった私は

 

?????

 

それと同時にすごく興味が湧き、ヨガ哲学にハマっていきます。

 

ちょっとだけヨガ豆知識(こんど詳しく書きます)

 

現在ヨーガと呼ばれるものの多くは動的なものであり、人間の心理に重きを置く静的な古典ヨーガの流れではない。動的なヨーガは、肉体的・生理的な鍛錬(苦行)を重視し、気の流れを論じ、肉体の能力の限界に挑み、大宇宙の絶対者ブラフマンとの合一を目指すハタ・ヨーガ[2]のヴァリエーションである

 (出典:wikipediaより)

 

古典ヨガはエクササイズではなく、ヒンドゥー教バラモン教仏教ジャイナ教の修行法の一つ。キリスト教でも取り入れられていたとも言われています。

 

ヨーガという語が見出される最も古い書物は、紀元前800年~紀元前500年の
「古ウパニシャッド初期」に成立した『タイッティリーヤ・ウパニシャッド

ウパニシャッドとは、サンスクリット語で書かれている書物で、一般には奥義書と訳されています。

 

紀元前350年~紀元前300年頃に成立したとされる『カタ・ウパニシャッド』には、

 

『感官の確かな制御がヨーガである』

 

というヨーガの最古の説明が記されています。

 

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《滝修行中のMANO in リシケシ》

 

ヨガをする。学ぶっていうのは、

とにかく幅広く、深い。

 

まだまだ修行中の身だし、答えなんてないです。

 ヨガの勉強をし始めた時に自分の心に気付いたっていうのは

 

「自我」が何なのかとか、改めて考え、理解しようとしていると、客観的に自分を見つめれるようになった。

 客観的に見ればみるほど

 

心と体が ”=” じゃない時に気づく

 

頭=思考

心=感じる

体=動かす

 

すべてが思い通りに生きていくのは容易なことではないです。

実際は「難しい」と思っているだけで、すごーくシンプルで簡単なことなのかもしれない。

 

けど、今の私には難しい。

 

できないものはできないって思うのをポジティブに生きようとか、

プラス思考にするっていうのは、一種のトレーニングはできても、変わることがてきない部分もあるわけです。

 

本来の自分の心の声を聞くには、

ちゃんと耳を傾けないといけない。

 

自分の心に、体に。

 

この感情はどこからくるのか?

遠慮や謙虚さ?

自信のなさ?

自意識過剰??

 

いろんなことに気づきます。

そして、そうなった原因にも行き着く。

 

家族

恋人

仕事

 

本当はこうしたい

でも、いや、違う???

 

生きるってなに?

 

自問自答の繰り返し。

瞑想でもなんでもないですよ。

ただ向き合う時間。

 

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大人になるとこういう時間どんどん取らなくなるし

意識的に時間取らない限り、取れない。

 

時間をとるだけだと、スマホみちゃったり、向き合うことから逃げてしまう。

 

そんなときにヨガ・・・意識した呼吸と体を動かす

 

そうすると

 

感情が一旦止まるというか、、、

振り子のように一定のペースに戻るというか。

 

大きくも小さくもある揺れが均等になっていくイメージなんです。

 

だから。ヨガが好きになった。

ヨガを伝えたいと思った。

 

もっと自分の心の声、体の声、

みんな聞いたほうがいいよって。

 

考えることはみんな十分できてるから

頭を使うのは一回やめる。

 

「感じる」

 

とっても大事。

 

2016.08.29 

心はインドにまだあるMANOでした