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MANOとヨガとインドのこと

MANOのヨガのことをつらつらと書いています

pray, meditation~祈りと瞑想について~

みなさま こんばんは。
MANOです。
 
先日書いた映画の話
 
この映画すでにこの10日間で8回見ております。
馬鹿の一つ覚えのように見続けるわたしの変な癖で(笑)
 
そして、今日は劇中で好きなシーン
 
リズ(ジュリアロバーツ演じる主人公)がインドに行って瞑想しようとがんばってみるんだけど、
 
「ぜんぜん瞑想できない!」
「集中できない」
「雑念が・・・」
 
それが、アシュラムで現地の女の子と友達になり、その子が意にそぐわない結婚をしないといけないということを聞きます。その結婚式までのカウントダウン。
 
毎朝の祈りが苦手だったリズはその「女の子の幸せのために祈る」なら最後まで出来るようになるのです。
 
さて、
今日は何の話かっていうと「祈り」と「瞑想」のお話。
 
”祈る”っていうと「神様」に祈る
”瞑想”っていうと「心を無にして自分と向き合う」「心を落ち着ける」
そんなイメージかな?
 
 
”瞑想” とは・・・
瞑想(めいそう、英:Meditation)とは、を静めてに祈ったり、何かに心を集中させること、心を静めて無心になること、目を閉じて深く静かに思いをめぐらすことである。この呼称は、単に心身の静寂を取り戻すために行うような比較的日常的なものから、絶対者()をありありと体感したり、究極の智慧を得るようなものまで、広い範囲に用いられる。
 
瞑想の「無」になるってね、境地なんですよ。
ほとんどの方が無理です(笑)
瞑想をしているクラスに参加したり、一人でやってみても、絶対何か考えるし、考えないという概念自体が「寝ている」瞬間以外は無意識下で行われているので、やっぱりかなりの修行というか、訓練?が必要なのが 瞑想 なんだと思います。
 
ちなみに、私は瞑想では基本、、寝てます、、、
 
では ”祈り” とは・・・?
祈り(いのり)とは、などの人間を超える神格化されたものに対して、何かの実現を願うことである[1]祈祷、きとう)、祈願(きがん)ともいう[2]儀式を通して行う場合は礼拝(れいはい)ともいう。
 
なんか単発的な感じですが、日本ではどこかに行った時、何かが起こった時(厄払いとか)にしかしないのが祈りのイメージ。
 
神様を一人に絞らない(これはインドもたくさん神様いるのでいいんですよ)
多宗教、無宗教の方が多い日本ではあまり馴染みがないのかもしれない
 
ピンチになった時だけ、神様なんていなーーーい!!
クリスマスの時だけキリストの誕生日をお祝い
お寺に行けば仏像に手を合わせる
初詣は神社(なんの神社でなんていう神様か知らない)
 
でも、人のためには誰でも祈れる。
病気の人、助けたい人、誰かに○○なってほしい!(受験合格してほしいなど)
毎日でも、毎時間でも祈ることってできてしまうんです。
 
自分のために祈る習慣を身につけることをお勧めしたいけど、難しい人は人のため、大切な人を浮かべて毎日1分でも2分でも”祈り”の時間を作っていただけたらなと思ったのでした。
 
わざわざ瞑想の本を買ってやってみるより、毎日の祈り。
 
それが、瞑想の時間につながり、心を落ち着け、日々の幸せや充実感を感じることにつながるんじゃないかな。
 
そんなことを思ったのでした。
インドでもそれはとっても感じたからね。
 
自分のために”祈る” ・・・ 気まぐれで続かない
人のために”祈る” ・・・ 毎日でもできる
 
 今日は誰のために祈って1日を始めますか?
 
MANO
 今度はインドの神様のこと書きますね。
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