pray, meditation~祈りと瞑想について~
多宗教、無宗教の方が多い日本ではあまり馴染みがないのかもしれない
リシケシでヨガ② YOGA VINI
みなさま こんにちは。
MANOです。
インドでヨガ
インドの中でもヨガの聖地と言われているのがRishikesh (リシケシ)
そこでヨガをしたくて今回インドに行った訳ですが。
当初、1ヶ月のTTを受けに行こうと計画していたのを取りやめて、10日に短縮したので、そんなに数多くは受けておりません。
そして、リシケシでのヨガで1番、2番を競うくらい良い評価だったのが
YOGA VINI ヨガビニ
こちらの記事は最新記事として、下記に情報更新しております。
MANOでした
ヨガで気付いた心のこと
こんにちは。MANOです。
インドからから帰って2日目。
今日は体調がどうなってるかわからなかったので、サロンはお休み。
明日からはほぼ普通通りサロンワーク
さて、今日はヨガと心のことについて書きたいと思います。
「ヨガを始めて気付いた心のこと」
心ってどこにある?
心臓?意識だから頭?
ふとそんな質問がありました。
魂って何?
体って?
そんなことがヨガと関係あるなんて思っていなかった私は
?????
それと同時にすごく興味が湧き、ヨガ哲学にハマっていきます。
ちょっとだけヨガ豆知識(こんど詳しく書きます)
現在ヨーガと呼ばれるものの多くは動的なものであり、人間の心理に重きを置く静的な古典ヨーガの流れではない。動的なヨーガは、肉体的・生理的な鍛錬(苦行)を重視し、気の流れを論じ、肉体の能力の限界に挑み、大宇宙の絶対者ブラフマンとの合一を目指すハタ・ヨーガ[2]のヴァリエーションである
(出典:wikipediaより)
古典ヨガはエクササイズではなく、ヒンドゥー教、バラモン教、仏教、ジャイナ教の修行法の一つ。キリスト教でも取り入れられていたとも言われています。
ヨーガという語が見出される最も古い書物は、紀元前800年~紀元前500年の
「古ウパニシャッド初期」に成立した『タイッティリーヤ・ウパニシャッド』
ウパニシャッドとは、サンスクリット語で書かれている書物で、一般には奥義書と訳されています。
紀元前350年~紀元前300年頃に成立したとされる『カタ・ウパニシャッド』には、
『感官の確かな制御がヨーガである』
というヨーガの最古の説明が記されています。
《滝修行中のMANO in リシケシ》
ヨガをする。学ぶっていうのは、
とにかく幅広く、深い。
まだまだ修行中の身だし、答えなんてないです。
ヨガの勉強をし始めた時に自分の心に気付いたっていうのは
「自我」が何なのかとか、改めて考え、理解しようとしていると、客観的に自分を見つめれるようになった。
客観的に見ればみるほど
心と体が ”=” じゃない時に気づく
頭=思考
心=感じる
体=動かす
すべてが思い通りに生きていくのは容易なことではないです。
実際は「難しい」と思っているだけで、すごーくシンプルで簡単なことなのかもしれない。
けど、今の私には難しい。
できないものはできないって思うのをポジティブに生きようとか、
プラス思考にするっていうのは、一種のトレーニングはできても、変わることがてきない部分もあるわけです。
本来の自分の心の声を聞くには、
ちゃんと耳を傾けないといけない。
自分の心に、体に。
この感情はどこからくるのか?
遠慮や謙虚さ?
自信のなさ?
自意識過剰??
いろんなことに気づきます。
そして、そうなった原因にも行き着く。
家族
恋人
仕事
本当はこうしたい
でも、いや、違う???
生きるってなに?
自問自答の繰り返し。
瞑想でもなんでもないですよ。
ただ向き合う時間。
大人になるとこういう時間どんどん取らなくなるし
意識的に時間取らない限り、取れない。
時間をとるだけだと、スマホみちゃったり、向き合うことから逃げてしまう。
そんなときにヨガ・・・意識した呼吸と体を動かす
そうすると
感情が一旦止まるというか、、、
振り子のように一定のペースに戻るというか。
大きくも小さくもある揺れが均等になっていくイメージなんです。
だから。ヨガが好きになった。
ヨガを伝えたいと思った。
もっと自分の心の声、体の声、
みんな聞いたほうがいいよって。
考えることはみんな十分できてるから
頭を使うのは一回やめる。
「感じる」
とっても大事。
2016.08.29
心はインドにまだあるMANOでした